のろのろ いもむし君

〜鬱から脱出〜
前世占いにはまる
叔母が家庭教師に
子供のころ…なんで私だけ…
怒られた
担任のいじめ

Past

痛い思い出は鬱を悪化させた…

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前世占いにはまる

子供のころはなぜか占いにはまっていました。そのころの思い出です。中学2年のころです。

現実生活では、八方ふさがりでした。

叔母が家庭教師にになるし、友達ともいまいち楽しくないし、家では家族が喧嘩で、いつ怒られるし、お小遣いはもらえないし…

中学1年のころは勉強をして楽しみを見出していたのですが、そのせいで友達から浮きはじめてしまったのでした。「まじめ」という言葉がなによりも嫌いでした。勉強をやめて、馬鹿になろう、そして友達ともっと仲良くしたい。馬鹿になれば親も進学校進学校、と言わなくなるだろうという作戦が、裏目にでたのでした。叔母の家庭教師というさらに厄介なものがでてきました。

叔母の家庭教師をつけたこと以外にも、親に対する不満は山ほどありました。進学校、進学校という親、お小遣いをくれない親、ヒステリックな親。父は父で飲めば愚痴る。私にお金がかかる、習い事などやめてしまえ、と毎日毎日。習い事は母が出してくれていたのですが、父が子供達が贅沢すぎると言って文句をいい、なぜかそのときに母が同意するのです。

浮かばれない私は占いにはまっていした。どうしてこんな両親から生まれたのだろう。きっと過去に悪いことをしたのではないかと思い、前世占いにはまっていました。たまたま修学旅行で京都か大阪に行ったときに前世占いのプリクラぐらいの機械があって、グループでしたのでした。その機械を友達と金沢に遊びに行ったときにもしていました。

修学旅行では動物の前世占いとしました。そのときは犬でした。金沢でしたときはのはフランスのわりと裕福な農家の娘、ユダヤ人の男で数学ができる人などでした。どの結果も現世でも過去のノルマを解消するために頑張らないといけないというものでした。

私の占い欲はさらに続き、雑誌の後ろにでている、マドモアゼルなんとかという電話の占いにもはまっていたのでした。その占いは結構印象に残っていて、前世では指導者だった。けれど、前世でそのことに疲れて、現世ではもっとらくになりたいみたいなことを言っていました。「おいおい、現世で頑張ろうって思っている結果がいいよ〜」と突っ込みを入れたくなりました。結果は、とにかく困難が多いけれど、あなたが頑張ることで、周りに勇気を与え、カルマが解消される、頑張ってください。というものでした。

この状態でどう頑張ればいいんだと途方にくれつつも、頑張らなければいけないと思い、涙がたくさん出てきました。大きな黒い雨雲から、稲妻で打たれたような気持ちがしました。

なぜか、そのころ好きだった、有名音楽プロデューサーの占いをしていました。あまりにも華々しい成功なので彼を応援することで自分も成功するような、自分も成功できるような錯覚を味わっていたのかもしれません。自分も漠然と成功したいと思っていました。そして、成功できた彼と、見込みも少ないし満たされない環境の自分を比べる意味でも調べたかったのです。

調べた結果、その大物プロデデューサーは前世は食べるものさえないような飢餓状態にあったそうです。もちろん夢もかなえられませんでした。そして現世は前世の夢をかなえたいと思っているそうです。わかりやすい。

前世がよっぽど飢餓と貧困なので、今金持ちなんだな。なんて妙に納得してしまいました。

今、あのころのことを思い出します。もっと自分のことをがんばらないといけない。だけれどあんまりうまくできなかったな。近くの家が工事でうるさくて、快適な夢も見れなかったし。結局ホームページ書いていて、しまもまた占いにはまりそうになっていた。でも占いにはまるぐらいなら、お昼寝をしていた方がずっと健全だな。

Posted by いもむし君 at 2005年5月28日▲このページの上へ

 

叔母が家庭教師に

そんなに成績が悪かった分けではないが、小さな学校ですが、番数が7ぐらいから、11、12になって下がったので、叔母を家庭教師につけられていました。

叔母の教え方にそりが合いませんでした。私はひらめきのよい方でしたが、叔母はそのやり方を認めませんでした。私はBというやり方で回答を導いても、叔母はAという方法で回答しないと合っていると言わないのです。私は「Bでもあっているじゃん」とはじめは盛んに言い返していたのでした。

そんな鈍い叔母を逆にからかったりもしたのですが、叔母の機嫌を損ねたらしく反撃にあいました。叔母は何かにつけて私をしかってくるのでした。進研ゼミをつかっていましたが、進研ゼミなんかつかっては駄目だ。進研ゼミも悪い。学校のプリントをおろそかにしすぎている、などなど。

叔母はもっと都会の大人数の学校で教えているので、自分の方が正しいと言ってくるのです。そのことは母も同意して私も同意するしかなかったのです。

しかし、私は勉強に対する自信をなくしてしまい、前よりも成績が下がりました。

そのほかに叔母が家庭教師になったこと自体に不満がありました。母は学校の授業をちゃんとしていれば、塾にいったり家庭教師もいらないと日ごろから言っていたので、家庭教師をつけられたときに落ちこぼれたせいだという被害妄想がありました。

もちろん、優秀な子もさらに成績を伸ばすために塾へ行く子も多いのですが、私は彼らを塾に行かないと授業についてこれない馬鹿な子達と勝手に思い込んでいました。当時学校の先生でも、「学校の授業をちゃんとしていれば、塾にいったり家庭教師もいらない」という先生も多く、母もそのように言っていたので「古い時代の考え」が身についていたのでした。叔母に挑戦的だったのは、「あんたなんて来なくてもいい、私はその必要がないのだから、こなくなるだろう」という気持ちがあったのだと思います。

しかし、叔母の家庭教師は続きました。地獄の日々でした。叔母が来ること自体地獄なのです。そんな私にぴーちゃんが助けに来てくれていました。なかなかプライドの高い猫でしたが、そのときはいつも私の部屋のいすに来て、叔母から守ってくれていたようでした。

 

Posted by いもむし君 at 2005年5月27日▲このページの上へ

子供のころ…なんで私だけ…

子供のころ、バッハが好きだった。ピアノを習っていたせいもあって、バッハのメヌエットとか、好きな曲があったりしたり、母が好きだったようで、好きになっていた。
母は、バッハの曲は「神に一番近い音楽」と言っていた。子供のころは神がなんだかわからなくて、「神頼みの神」ぐらいにしかわからなかった。

でも田舎で育った影響もあって、バッハの音楽が、空から聞こえてくる優しい日差しや、ひばりのさえずりの様に美しくて好きだった。

だけれど、小学校のときに英会話スクールに通っていて、好きな音楽は何かと聴かれた。友達はクラッシクが好きで、「シューマン」が好きと言っていた。先生は納得したようだった。私も聞かれて、「バッハ」と言ったら先生に変な顔をされた。「あんたはポップスじゃないの?」と言われた。

なんで「シューマン」はよくて「バッハ」は駄目なの?と思った。なんで友達は良くて、私は駄目なの…

かなりショックだった。でも当時はそうでもなかったけれど。いろいろ嫌なことが重なって、そのときはそうでもなかったことが現在によみがえって、新しい意味を持ち始める。昔のことがよみがえって私を苦しめる…

Posted by いもむし君 at 2005年4月10日▲このページの上へ

怒られた

短大の時にケイ南に怒られた。担任からのイジメで質問にいくのにすっかり臆病になっていたけれど、積極的な短大の雰囲気に押されて、先生に質問にいってみた。先生が気軽に研究室に質問に来てくださいと言っていたので、勇気を出していってみた。どうしたら英文が上達できるか聞きたかった。前回の授業のノートを持っていっていた。もっとこう書いたらいいのではないかとか、そんなアドバイスを期待していた。ところが先生の研究室に言ったら怒られた。私の質問は漠然としすぎていたのかもしれない。そんな質問を聞きに行ったこと自体に怒っていたのかも知れなかった。苦い思いでだった。聞きにいったことがまずかったのだと自分でそのことを理解しようとしていた。でも友達はケイ南はいい先生だと何度も誉めていた。でもいい先生にこんな風に怒られて心底みじめだった。

Posted by いもむし君 at 2005年3月29日▲このページの上へ

 

担任のいじめ

 

小5の時に、担任に疑いをかけられたことがあります。その経験で私の人生は大きく変わったように思っています。クラスは15人しかいなくて、男と女のいじめられっこが1人ずついて、不潔などの理由で全校生徒から嫌われたりしている感じでしたか、女の方を私がいじめをしているという疑惑をかけられたことがあります。 私は責任感も強く、幼いながら信頼されるような行動をとっていたので、その疑惑は人間不信になりました。 友達から詮索したり、家庭訪問をしたりして、母は先生の方を信じたので、先生と母からの疑惑は1年つづきました。 風邪が治らず、病院では自律神経失調症と診断されました。 その担任は、そのときに男の子のいじめられっこをかばい続け、ガキ大将的存在の男の子と何度も叱咤していました。 その男の子は成績もよく、将来は生徒会長になるはずでしたが、辞退し現在は暴力団かなにかの組に入っているそうです。 その男の子のことは担任が原因かはっきりといえませんが、何らかの影響になっていると思います。 小学のころは学校が世界であり、まだ人格が形成されていないので、人からの非難に影響を受けやすいのだと思います。 私が疑惑をかけられたときは、友達が「今まで先生にひいきされていたからだよ。」といわれ、授業で発表したり、先生と仲良くしたりしていた過去の自分を悪いと思うようになりました。 あの疑惑がなければと今でも思いまいことが増えていきました。人間不信、体調不良などだけでもあのころの影響は大きいと思います。

Posted by いもむし君 at 2005年03月18日▲このページの上へ