メディオスの苦い思い出
痛い思い出は鬱を悪化させた…
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メディオスを去るとき
メディオスに行っていたとき、皆は私が元気ないねと言った。明るくしてるつも
りだし、十分元気なつもりだけど。
だけど欝のせいがあって顔色がよくなかったのかもしれない。今思うと。
だけど
会う人会う人に言われてほとほと嫌になった。
だけど元気ないと言われる理由は、勧誘した人が少ないからだとそのときの私は
思った。だけど親友だったTちゃんを紹介したので大満足だった。それ以外の活
動は3ヵ月間しなかった。そのうち、Tちゃんには2ヵ月使って残りは自分自身
がどうやったらよくなるか考えていた。
でもそれではいけないと言う。何人かに
少し話したけど無理だとわかったのでそれ以上言ったりしなかった。だけど自分
自身のことを考えて、自分自身がどうしたらよくなるか考えたい、そのために参
加したと言ったら、おかしいと言われた。
私を勧誘した人、つまり親が言葉が足
りなかったそうだ。人間だからミスもあるというようなことを言った。親がでて
きて申し訳そうな顔をして仲間がかばっていた。
だけど今の私なら、「自分自身の
ことを考えて勧誘しないことがミスや過ちだとしたら、私も人間だからだ」といいたい。しか
も親からは勧誘のことなど聞かなかった。
最後にいちばん勧誘できた可愛いルッ
クスの女の子がでてきた。勧誘のことをメディオス用語でリクルートと呼ぶ。そ
してメディオスに紹介された人は「子供」と呼ばれる。彼女は一緒に自己分析の
合宿にいた子だった。その子が○○はどうしてそう
なの?と言った。どうしたもこうしたもない。私は心の中で思った。
彼女は可愛
いから勧誘しやすいし、メディオスでも周りからちやほやされている。それが今
の彼女を作った。ただそれだけだ。彼女のルックスになれたらいいが、私は不細
工なりに生きている。リクルートたくさんして子供がいるから生き生きしている
とは思いたくなかった。
私がしらけているとつまみだされて、メディオス必要か
聞かれた。いらないと言った。私のメディオスはこれで終わった。最後に私は異
端と呼ばれた。私はおまえらはローマカソリックかと思った。
メディオスの時のメンバーに会った
今日、渋谷の大戸屋にメディオスに行っていたときの仲間のサゲ君がいた。サゲ
というのはメディオスでのニックネームだ。
ピンクのネクタイでまだ慣れないス
ーツでいかにも「フレッシャーズ」という感じだった。昔と違うのは、茶髪にな
っていた。でももしかしたら人違いかもしれない。
だけど本人かもしれないのは、相手も私に気付いていたような感じだった。私は
昔とはだいぶ変わったからわからないだろうと思ったけど。私は小学のときや中
学のときのクラスメイトは相手は私がわからなくても、面影でわかる。だけどど
うしてサゲ君は私がわかったのだろう。メディオスの妙な連帯感のせいか。でも
この連帯感は嘘だ。本当は仲の良いもの同士では少しずつ作るものだ。私と彼との連帯感は本物だ。ところで、サゲ君は髪の色同様、昔より明るくなっていた。
あの頃は誰でも未熟で自信がないものなんだ。母は幼かった生徒が大人になって
会うと別人のようになっていて、皆がしっかりした大人になって驚かされると言
う。幼かった生徒がだらしなくみえて怒ったりしたけど、あの時点の頃の頃しか
知らないからだと言ったことがある。あの頃の私は、あの時点の私にすぎなかっ
たのだ。
メディオスの思い出
今思うと、何で参加してしまったのだろうと思う。自分の心の弱さにつけこまれた。
もともとだまされやすいところがあるのかもしれないけれど、高校の時落ちこぼれていた経験や、4大に行けなくて、短大にしかいけなかったとか、そういった後ろめたさにつけこまれたのだと思う。
無事編入できてメディオス行ってしまった事を友達に話したときのこと。
友達 「それだけお金あったら海外旅行したほうが変われるよね!」
私 「…」
確かに、卒業旅行でイタリアに行って、地球の歩き方の安いので言ったので、2週間も南イタリア〜北イタリアまで周って、強運の友達のおかげで青の洞窟まで行けちゃったりして、確かに自分変わりました。
外国に行くことで、日本が見えてくる、そして自分自身が見えてくる…
でもメディオス行ってたときは、海外旅行なんてちゃらちゃら行くのじゃなくて、メディオスで自己改革するのに意味があるって本気で思っていましたもん。
結局メディオスで変わったのは、惨めなバイトしていた思い出。それから全く知らない他人と妙な親近感が生まれるという一種の洗脳。そしてお金の無駄遣いかな…。
今は大学でも名指して参加しないように呼びかけているそうですよ。
世の中何がいるかわからない、自分はだまされやすいところがある、そう思って用心してます。いい社会勉強になった、かなぁ…(T_T)
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