のろのろ いもむし君

〜鬱から脱出〜

お誕生日が辛い
アクセス解析 分析ミス
疲れた〜
社会に適応すること
辛い2年間
世界でひとつだけの花を聞いて…

Depression

 

朝起きれない>>/ ブルーディ>>/ テスト>>/

お誕生日が辛い

今まで嬉しかったお誕生日。

24歳の昨日は、お誕生日のお祝いに釣りに出掛ける話が嬉しかった。釣りは当 日じゃないせいで、お誕生日な重さがまだわかっていなくて、それで嬉しかった のかもしれない。

去年は年老いた惨めさを半分感じつつ、まだうれしかった。

でも今年は違う。25歳の重みを感じて辛い。

25歳からの雑誌、「BAILA」なんてある。「BAILA」はずいぶん大人っぽい雑 誌に感じる。

子供の時は、母や女の先生か、だれか年配の人のお誕生日を覚えて祝ったら、嬉 しくないことを言われて傷ついたものだった。

でも、祝ってくれた彼に嬉しくないと言ってしまっている。

まだ働いていないせいかもしれない。歳の割に子供っぽい自分が嫌(T_T)

Posted by いもむし君 at 2005年5月17日 ▲このページの上へ

アクセス解析 分析ミス

Access Analyzerが分析ミスをしています。ブラウザの分析ができていないんです。

前はできていたのにな…プロバイダー変えたせいかな…

IEもすべてMozillaと表示してしまっているんです…

特にそういう記事も載っていないし…

ルーターのせいかな…

たいしたことじゃないのはわかっているけど、鬱々する…

Posted by いもむし君 at 2005年5月13日 ▲このページの上へ

疲れた〜

疲れた〜なんか疲れた〜背中がおかしいかんじ。背骨の中がおかしい感じがする 。


Posted by いもむし君 at 2005年4月22日 ▲このページの上へ

社会に適応すること

社会に適応すること。

去年(2004年)の夏気功で治療している中川の先生に話を聞 いてもらった。本当は整骨医院だけれど昔は話も聞いてくれたときがあった。我 が家に取りついていた幽霊を退治してくれたのはこの先生なので、先生の力は大 変信頼し、そして尊敬している。

だけど先生は「元気だしなさい」とか「社会に でなきゃいけないがですよ」とか言っていた。もちろんそれ以前に延々と1時間 ぐらい話を聞いてもらっていた。たいていの人は5分ぐらいでどんなに長くても 15分ぐらいだろうか。次の人はすっかりまいていた。

今思うとそれだけでも感 謝しなければいけないけれど、先生に最後言われた言葉だけが先生の印象になっ ている。そのときの私は怒っていた。そして大泣きしていた。先生がわかってく れなかった。

こうして気晴らしばかりして前に進めないで、うだうだしている 自分を正当化したかったからだ。認めてもらいたかった。

先生に言ったら「私か らはこれしか言ってあげられないのです。」と言っていた。確かにそうだった。 偉ぶったりしない先生に少し共感した。

帰郷した1週間は毎日のように先生のと ころへ行った。

だけど先生のところに通うと私は家族 のことを悪口とか不満をたくさん言うようになるので連れていくのを嫌がった。 先生のところへ行くのを嫌がった。診てもらうと今までため込んでいた気持ちがどんどんでて くるような気がした。

だけど、言わせてくれない家族にむかついていた。私を扱 いやすいように圧力で押さえ付けようとする家族にむかついていた。昔からずっ とそうしていた家族を憎んでいた。

Posted by いもむし君 at 2005年4月16日 ▲このページの上へ


辛い2年間

この二年間は私にとってとても辛い期間だった。 立場的に非常に惨めで、私より年下の人がどんどん進級していった。 その間に友達はみな就職して、取り残されたのは自分だけだった。 自分は人にない、優れたところがあると思っていたけれど、自分が一番落ちこぼれ立った。 私は編入で大学に入ったので、ほかのみんなより何か劣っているという劣等感が消えなかった。 でも自分は同じ編入した友達よりも劣っているような気がした。 編入で入った友達もみんな就職していった。 いつも一緒にいた友達で、まったく授業に出てこない友達も、ある大学の事務委員になり、 ほかの子よりも恵まれた仕事をしているような気がした。

私にもチャンスはあった。 しかしことごとく見逃して通り過ぎていった。

就職が決まらず、がっかりしている私に、母が進学することを提案してくれた。 はじめは就職できないことで自分は社会不適応者となったようで、ひどく落ち込んでいた。 大学院に進むことを親が認めてくれたときは、新しい道が開けたようでとてもうれしかった。 そしてそうすることに何か意味があるように思った。

でもその道は以前閉ざされたままだった。 今度のテストもだめかもしれない。 夏に失敗したとき、今度は受かりたい、冬までに何とかしたい。そう思った。 結局なにも変わらなかった。 夏にテストに落ちたときは悔しくて泣いた。 がんばろうと思っても素直に従ってくれない心と体が悔しかった。

がんばろうと思うと余計できない。 何か過去の痛みが引き出されるようだ。 過去にいろいろなことを我慢しすぎた。実際いろいろなことがあった。 偶然が重なって、私は我慢するしか道がなくなっていた。 それでもがんばろうと思っていた。そうしないといけないと思っていたし、そうできるとも思っていた 。 過去でも私は実際何もがんばっていなかった。何も形に残っていないからだ。 私はがんばっていたのではなくて我慢していたのだった。 いつの間にか、「がんばる」ことは「我慢すること」と私の中で変わっていた。

今は少しだけならがんばることができる。でもその方向は勉強の方へは向いていなかった。 ホームページを作ったとき、がんばったと思った。 まったくの初心者なので、テーブルの設定とかが難しかったが、 インターネットで調べたりして自力でなんとかここまで作れるようになった。

何か調べたいと思って、ある程度納得がいくまで調べるときは自分でもびっくりするほどの根気があったりする。
気がついたら3時になっていたり、ご飯を食べていなかったりしているときもある。
でも気分が乗っているときしかできない。
そいしたい。そう感じた瞬間にしないと、あとに伸ばすとホームページも嫌になってしまう。
でも、ホームページで欝で苦しんだ気持ちをかいて、同じ悩んでいる人に見てもらいたかった。
自分の周りに同じ悩みを抱えている人はいないけれど、この世のどこかで私と同じように苦しんでいる人 がいるはずだと思った。

でもなかなか欝の気持ちを書くのは大変だった。 欝だから、途中で気がめいってかけなくなったり、自己嫌悪になって、 書きたいことはたくさんあるけれど、 なかなかページは進まなかった。

今は願書に何を勉強したか書かなくてはいけないときだが、 何もかけなくて困ってホームページにその気持ちをぶつける。 このあいだ、朝起きたら、願書にかくとてもいいことを思いついたけれど、いまは思い出せない。 その悔しさもあって、いらいらしている。 そのときにすぐに書き留めればよかったのだけれど、 思いついたときはよかったが、そのあとで欝がやってきた。 無気力で、書く気が起こらず、ホームページを開いてみたけれど、なんとなく時間が過ぎていた。

ホームページをするようになって、私は少し元気になったのかもしれなかった。

無理に早起きしても頭がボーっとして、体調不良のため、自己嫌悪になる。 ただ起きているだけで、勉強をするわけでもなく、ただ昼になっていくので、 何にもできない自分を責めてしまうからだ。

最近少し遊ぶのが楽しくなってきた。 遊んでいるときに楽しいと思ってつい夢中になっている。 それでもうまく遊べないときは、遊んでもあまり楽しくなくて、 ただお金だけがなくなっていくので自己嫌悪になる。

最近はやっと少し遊ぶことを覚えてきた。 遊ぶ方法を知らないとかではなくて、遊んで楽しい気持ちになることを知らなかったのだ。 何をしても楽しくない人、遊んでも楽しめない人は欝傾向があるのかもしれない。 私もそうだった。高校のときはまさにその状態にいた。

あのころは一番辛かった。地獄だった。 みんな若いころは何でもできて、若いころに戻りたいという。 でも私は戻りたいと思ったことはない。 「若さ」がどういうことかわからない。高校のときは気持ちがもっと老け込んでいた。 まだ若いはずなのに、吉田兼好なみの粧業無常の価値観をもっていた。 人一倍幼く見られたが、心はご老体だった。何にもないのに、暑くなってほてったり、精神が不安定になって、 まさに更年期障害だった。 若いうちから、更年期障害になって、年をとったらまたなるだろうから、私の人生は最悪だと思った。

若いときは何でもできる、一度でいいから、そのような健康で明朗な気持ちになってみたい。
若くても何にもできない。 若い=健康ではない。

いつになったらこの苦しみから抜け出せるのだろう…

Posted by いもむし君 at 2004年12月 ▲このページの上へ



うつになって、つくづく人は複雑な存在だと思いました。 そして人は奥が深く、まだまだ分かっていないことがたくさんあると思います。

医療は目覚しく発達しましたが、人間の精神の部分はまだまだ未知の存在であると思います。 医療の発達は部分的にしかずぎず、精神的なことは根本的なことは100年前とあまり大きく変わっていないのではないかとさえ思いました。 100年前と変わったことは薬がよくなったことです。  私もうつを治すために病院へ通いましたが、もう今はもう通っていません。

具合の悪い人が大勢集まっている待合室で長時間待つだけで、気がめいってしまいます。 そして私にとって一番厄介なものは薬です。私は何を飲んでも受け付けず、身体が拒否しているようです。薬を変えてもよくなりません。 薬は患者の気休めにしか過ぎないのではないかと思います。

私は自律神経失調症と小5の時に診断され、ずっと自分をごまかしごまかし今日まできました。 しかし、家庭のいざこざや学校になじめなかったことで悪化し、頭痛、めまいなどで起き上がれなくなってしまいました。 体の不調はあるものの、いったんは回復したのですが、就職活動でまた悪化し、今はうつかな…と感じる日がよくあります。 朝起きれない、食が進まない、部屋はぐちゃぐゃです。 テレビでや雑誌のうつ傾向を調べる特集では、見事、「欝傾向の人」に当てはまっていました。

Posted by いもむし君 at 2004年12月03日▲このページの上へ

世界でひとつだけの花を聞いて…

「世界でひとつだけの花」…SMAPの有名な歌である。 今更になって、 この歌のよさをしみじみと感じる。うつになって自分のことを見直すようになって、 歌のよさが感じられるようになってきた。そしてこの歌は今の時代を象徴しているように思った。

インターネットのニュースのコラムで、中学生の2割弱が無気力で欝傾向にあって、 小学生も8%ぐらいが無気力であることを知った。意外と欝で悩んでいる人が多いことを知って驚く。 しかし私も幼いころから精神状態が良くなく、中2では無気力になっていた。

私も中2ぐらいにはうつになっていた。 「中2のは中だるみの期間だ」と先生が言って、そうなりたくないと思ったけれどそうなっていた。 中1の時は何もすることがなくて、勉強をしてクラスの上位にいることに喜びを感じていた。 しかし自分は気のあう友達もできず、いつも一緒にいる友達から完全に浮いていることを感じた。 勉強すればするほど孤独になっていくことを知った。

成績優秀な子は成績がいいだけであまり頭が良いと思えなくて退屈で、なじめなかった。 私は優秀じゃない子といつも一緒にいた。でもうまく溶け込めなかった。 「まじめ」といわることをひどく嫌った。みんなと一緒になりたかった。 中2になった私は、もはや勉強に喜びを感じることができなくなってしまった。

私はただの中だるみではなかった。電話の前世占いにはまっていた。 自分が何のために生まれたのか知りたかった…そのことも、 電話代が1万になって、親にばれてそれもやめなければいけなくなった。 なにも楽しみがなくなった私は無気力で、毎日机に座ってボーっとしてすわっていた。 そして縁側に座って庭の木を見て、木漏れ日を眺め、日が沈むまで眺めて1日が終わった。

Posted by いもむし君 at 2004年12月08日▲このページの上へ