Steady
彼− 私にとって大きな存在
出会い− 大学の英文学を研究するサークルのようなクラブのようなところ
告白− 私から メールで
彼の第一印象− 話しやすそうな感じ、友達になれそう。 恵まれている感じ
一緒に頑張るしかない
彼と付き合うようになって、彼の勉強のペースを乱してしまっている。はじめは
そうじゃなかったけど少しずつそうなってしまっていた。
4年のときは就活の相談をしてもらっていた。だけど夏に体調を壊して、私の就活は事実上終わった。
親に院に進むことを言われて、就活しなくてよくなって安心したとたん潜在して
いた自律神経失調症が最悪の状態で、鬱病もでてきた。そして勉強も進まず体調
の悪い私は彼を振り回していた。
私がうまくできないとき、先に進んでいてほしい、これ以上彼の足をひっぱりたくないと思ったけど、
それは私と彼が関係を完全に切るしか、できないそうだ。
私も頑張りたい。こんな状態だけどあきらめた
くない。だけどそれ以上に彼がいないことはつらい。彼と他人になるなんて考え
られない。太陽の昇らない日がくるようだ。彼と頑張るしかないと思った。一緒
に頑張るしかない。一緒に頑張りたい。
学食でのこと
学食で3時〜5時まで勉強かんばっていた。ご褒美にソフトクリームを食べた。
まわりにも読書したい人ばかりがたくさんきて、快適だった。今日は頑張った。
今日は良い日だ。
学食で恋人と別れてしまったらしい子が友達と話していた。就活で辛いのに、恋
人と別れて辛いと言っていた。
共感できる部分がいろいろあって聞いてしまっていた
。付き合っていくうちに、今まで見えなかった部分がきになって、別れてし
まったようだった。お互いが譲らない部分があってそれが目立ってきてれてしま
ったようだった。話していた子がから好きになって、1年ぐらい付き合って
いたから未練が残ると言っていた。
お互い嫌いになったわけではなかったようだった。
「早く会いすぎた」そうだ。
そして相手が自分のことを忘れてしまうのが辛いと言っていた。
なんだかわかるような気がする…
聞いていてとても切なかった。 まだ彼と仲良しだけど、お互いの個性が衝突して
幾度となく喧嘩していた。 喧嘩して、仲直りできるか、そのまま別れるか…
今まではそうだったけれど、未来は…それはわからない。
ちょっぴりセンチメンタルになった。
逆に燃えてくる…???
明日は、美容院で髪を切ってもらいます。久しぶりです。2ヶ
月もだってしまいました。切った後はとてもきれ〜いになるの
で、彼にみてもらいたいです。
飲みに誘ったけれど、家族旅行の予定があって、準備と予習が
あって、楽しめないそう…明日飲みに行くのは無理かな?がっかり(>_<)
でも断られるとなぜか…彼をとられるような気がして、燃えて
くるのは何でだろう???
ウィルコムでかけ放題にしたいな〜
5月になったら、ウィルコムが月額2980円のPHSのサービスをするそうだ。ウィル
コム同士だと通話料が無料だ。彼と一緒に買って、2台目で使いたいな。機種も
お揃いにしたいな(*^_^*)掛け放題だね!やった〜(^Q^)/^
渋谷のお勧めランジェリーショップ
渋谷のセンター街にある、BODY FOCUSでお買い物。よく街角で売っているようなランジェリーが1000円〜2000円で買えるので今日はたくさん人が入っていました。ちょっと怪しい雰囲気で、はじめは入りづらかったけど、今は大好きなお店になりました。今でも入りづらいけど…。
私が入ると、ぞろぞろ人が入ってきたりする。そして、みんな安い安いと言っています。「銀行でお金をおろして買いたい。」と大量買いを宣言しちゃっている人までいます。
今日は、ワンサイズ大きなブラに挑戦です。
どきどきして家でつけてみたら…やったー(゚∀゚) ぴったり!!
木登り
今日は彼とジョギングして、そのときに近くの公園で木登りした。木登りは子供のとき少しやったぐらいた。でも怖くて登れなった。
前にジョギングしたときに子供が登っていたことを話したら、彼も昔、木に登ったことを反してくれた。意外と彼はわんぱくだった。私の知らない彼の子供時代。どんな子供だったのだろう。
今日はおもむろに木に登っていた。子供が4人も登っていた木なので登りやすい木だった。でも思ったよりもかなり苦戦した。腕力が足りなすぎる。登っているときの自分は多分情けない格好だった。
でも登ったらとても気持ちよかった。猫になった気分。
新緑のかえでが美しかった。

あれはダメこれはダメと言われたくない。
彼と喧嘩した。ホームページに自分のこと書かないでと言われた。リンクも外し
てほしいそう。ヴィトンの手帳のせいで嫌味も言われた。よく考えると3つだけ
どたくさん非難されたようでつらくて悲しい。頭が痛い。リンクは外したけど、
ホームページから「彼」と言う文字をすべて消すのを考えると辛い、簡単にでき
ないし、日記も書けない。あれはダメ、これはダメと言われると息が詰まりそう
残ったご飯
私は稲作が盛んな農家で育ちました。そして米をとても大事にするように育てられました。
ご飯を残すと父さんがばめきます。お米を床にばら撒いてしまうと、父さんが「早く拾え」とばめきました。
床に落ちてしまったので、ためらっていると「一粒も無駄にすんな、父さんがどんだけ苦労して作ったんか分かっとんがんか」といってばめきました。
仕方なく台所で埃やごみの混じったお米を拾います。
ばあちゃんも昔の話をしてお米の大切さを語ります。稲刈りの終わった田んぼの落穂ひろいをする話です。1日中田んぼ中を探してもバケツ1ぱいにもならない大変な仕事の話です。
それだけお米は貴重な存在でした。
しかし昨日、彼は茶碗のそこにわずかな食べ残しをしたのです。もうあと1,2口です。
昨日はそのことでけんかをしました。途中まで仲がよかったけれど、ご飯を全部食べたか電車の中でききました。食べ残していたことが分かって、はじめに食べれる分だけといっていたからそうしてほしかったこと
と、家族が大切に作ったお米を残されて悲しいと言ったからです。
神戸屋で焼きたてのパンをたくさん食べたせいです。でもおとといも神戸屋のパンを食べすぎたので、少なく炊きました。そして「はじめに食べれるぶんだけよそって」と念を押していたから本当にがっかりでショックでした。おとといは、彼をばめくわけにもいかず、育った環境も違うし、目をつぶることにしました。でも茶碗のそこに固く押し込められて張り付いたようになったご飯を見てショックでした。
実家では大切に扱われているお米が、粗末にされたように感じました。
そしてお米は自分自身でもあるように思いました。お米は自分で得たものではなく、父や祖母が作ったもので、お米を作っていけるのは先代が培ってきたものだからです。
家父長制の影響もありましたが、弟兄弟に田んぼを財産わけしないで、長男が引きついで、何代も何代も守ってきたものだからです。だから先代のおかげで田んぼを作らせてもらっているといえるのかもしれません。そして田んぼは、また後世に受け継がれてゆくのです。
お米がたいへん貴重だった昔に比べれば、今はそれほど大切に思われなくなりました。
彼はそのことをいいます。「昔はそうだったけれど、それは過去の話だ」と。
お米にこんなにも思い入れがある私は、きっと過去の人間でしょう。
そうやって、冷たく言い放つ彼が嫌いです。
彼だって、自分にとって大事なものはあるはずです。自分にとって大事なことをそんな風に言われたら、きっといやなはずです。
それとも自分の考え、私に移植するつもりなのでしょうか。
でも親戚の北海道のおばさんに新米を送ったときは、とても喜ばれて、うれしい声で電話がかかってきます。いまおばさんの声が耳元で響いているように思います。
そして、お腹がいっぱいでもう食べられなくても、最後の2口を一生懸命ほおばった幼いころの私が浮かびます。自分の家で作ったお米なので、まるで自分のように感じているのかもしれません。
でも食べ物に感謝をすることは必要だと思います。
いつも食事の前には手をあわせていただきます、をいいます。何にも言わないで食べ始める彼は、食べ物に感謝する気持ちが薄いのでしょうか。物にたいしてもそうなのでしょうか。
でも彼はいつも言います。僕を利用しているんじゃないか、僕を粗末に扱っているんじゃないか、と。
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