のろのろ いもむし君

〜鬱から脱出〜
病院をやめたとき
薬を飲めなくなってしまいました
病院にいけなくなってしまった私
(鬱の)病院歴と症状
病院とさよなら
病気だったら病院に行かなければいけない?

Mental Hospitalphobia

病院にいけなくなってしまった私

私は医者嫌いになってしまいました。
精神科や心療内科の医者はどうも肌に合わないようです。
鬱で病院に通っていて、「自分に合っている」と思っている人は
読まないでくださいm(_ _)m

Posted by いもむし君 at 2005年03月29日 ▲このページの上へ

 

薬を飲めなくなってしまいました。

はじめ通院してもらったときは効いているように思ったけど、飲んでいるうちに かえって頭痛がするように思った頃から、飲めなくなりました。じゃあ違う薬に しようとかえても良くなりません。 正直、薬に不信感はあります。11歳で初めて自律神経失調症になったとき、母 が「薬は根本的に治してくれるわけでない」と言われたことが影響しているのか も知れません。それから母は、同じように神経病を患ったいとこを見ていたので 、母の薬への不信感は相当なものでした。その影響で薬への不信感が知らないう ちに募っていたようです。 もう一つ、高校の時から飲みはじめたロイヤルゼリーの影響だと思います。 高校の時は頭痛い、痛いと思いながらも気にしないようにして元気に振る舞って いましたが、ある日全く布団から起き上がれなくなりました。風邪だろうと思っ ても、熱はないけれどひどい頭痛で起きれないのです。自律神経の影響だと母も 感じたのか病院へは行きませんでした。 代わりに母はロイヤルゼリーがいいと効いて飲ませてくれました。今でも飲んで いますが、その時はもっと高価なものを飲ませてもらっていました。一粒500 円もするものを、1日5〜7個飲んだとおもいます。 その頃自分はもう終わったと思いました。父は私を精神病院につれていきたいと 思っていることを感じました。ただロイヤルゼリーという未知なる存在に希望を 感じ、それが心の支えでした。 1ヵ月ぐらい飲み続けて、今まであんなに起きられなかったのに、すっと起きれ るようになりました。体が軽くなって、頭のもやもやがなくなって爽快な気分で した。初めて起きれるようになったあの日の気持ちは今でもよく覚えています。 今では家族で飲むようになりました。母はロイヤルゼリーを飲むようになってか ら、体に悪いものを飲んだり食べたりできない体質になったと言っていました。 薬が飲めないのも、ロイヤルゼリーの影響かもしれませんが、医者には相談でき ないです。

Posted by いもむし君 at 2005年03月29日 ▲このページの上へ

 

病院をやめたとき

病院にも通いましたが、あまり改善せず、薬もあわなかったことが原因です。 お薬を飲むと、何かの不満を感じました。

私はお薬よりも、先生に話を聞いてもらうときが一番心が楽になり、体もよくなりました。 でも実際の病院では話を聞いてくれるところは少ないと思います。 1時間以上待合室で待って、一人15分ぐらいだと思います。 時には3時間待つことも多かったです。

待合室で待っているとき、私は病気なのだと感じさせられました。 自分は劣っている。だから病院に来ている。 周りは具合の悪い人ばかりでますます憂鬱になり、この空気が余計鬱になるのだと思いました。

病院をやめたきっかけは、彼が胃潰瘍になったときのことも影響しました。 彼が胃潰瘍になったときは、健康だったときと別人のようでした。 胃潰瘍で辛いので、鬱々となって、それがまた病気にさせているように思いました。 本当は人間関係のトラブルが原因だったようですが、医者で胃潰瘍以外に心の悩みがあるではと思われたのが 嫌だったと話していました。

聞かれるとそのトラブルのことを思い出して、いっそう辛くなったのかもしれません。 それから、病院に行ったり、待合室で待ったりするのが嫌だときっぱり話していました。 医者に胃以外のことを詮索されたりしたときに、心に問題があるように言われたときに、嫌だといっていました。

彼がどう思ったかわかりませんでしたが、私にも心あたりがあるように思いました。 病院で話すときは、自分が患者である以上、自分は劣った人間だと思ってしまうようなきがします。

こういう出来事があって、自分が傷ついたりすることが、劣っているといわれているような印象があるような気がします。

彼は薬を1ヶ月分ぐらいもらって、病院には行きたがりませんでした。行くと具合が悪くなるとよく言っていました 病院にいかなくなって、前のように遊んだり、活動をするようになって、だんだん元気になりました。

そんな彼を見ていて、「治す為には病院にいかなければいけない。病院にいかなければ治らない」 と思い込んでいた自分に気づきました。 私も潔く病院にいくことをやめました。

病院代5000円を遊びに使ってみました。

Posted posted by いもむし君 at 2005年03月14日▲このページの上へ

 

(鬱の)病院歴と症状

担任からの執拗ないじめ疑惑で、親も信じ込み、人間不信になり体調をくずす。
町医者で診てもらっていたが、風邪が治らず県の中央病院にいくように勧められ、そこで「自律神経失調症」と診断される。
母はそのことにいくらか知識があり、そのせいか病室でその病気になったことをひどく責めた。医者も薬で治せるものでないとか言っていたようだった。


私の人間不信や親への不満はかえって高まる。 具合は悪かったが病院へは行かないことを決意し、元気になった振りをしていた。

中学で整体に1度行った。
痛いやつだった。特別良くならなかった。
それから、気功で見てくれる接骨院に通った。
足に腫瘍ができ、もし悪性だったら足を切断で、良性でも大きくなったら骨の中を掃除ですごく嫌だった。
でも先生に見てもらったらレントゲンから消えていた。 でも心の病気はなかなか治らなかった。

高校は時代遅れの進学校に行った。鬱々としていたせいか田舎ものだからかクラスメイトとなじめず症状は悪化。
生徒を威圧するような授業や学校方針に根負けし、家庭でも不和、幽霊事件などのストレスから起き上がれなくなる。

学校を数ヶ月休んで、夏休みとあわせて半年ぐらい休養。
その間母が勧めてくれたロイヤルゼリーの効果が起き上がれるようになった。

落ちこぼれながらも卒業し、短大に入学。

劣等感に悩まされ、そのせいか○ディオスという自己啓発商法に参加してしまう。
借金とアルバイトに追われる日々。 4年生大学に編入。
初めて心の平和が訪れる。
4年就職活動。 不眠症になり、クリニックに通う。

近所のつぼ押しに通い、年間10万使ったらしい。 そのためにアルバイトも続けていた。 アルバイト先で保険の効く、○健接骨院があることを知り通う。
サプリメントで治そうと思い、海外サプリを個人輸入。 自己分析をするたびに昔を思い出し、鬱に翻弄され、長所がないことに気づく。

就職活動に挫折

進学をするように親からも心配されてテストを受けるが受かるはずもなく落ちる。


インターネットで、自分は緊張頭痛であることを知る。 インターネットで名医と書いてあったので、町医者の脳神外科に通うが、「枕のせいでは?」
と言われて、散々、つぼ押しや整体に通ったので腹が立って行かない。

雑誌で「患者が選ぶ病院」の脳新外科部門の上位だったので、聖○加病院に通う。
そこで心療内科に通うように勧められる。

ロイヤルゼリーを飲んでいるせいか薬がまったく合わなが、
カウンセリングが薬より効果あることを知る。

保険が効くカウンセリングできるところを探す。
保健所に相談し「と○る医院」を紹介してもらったが、1時間に10人の患者を裁こうとして、自分はベンツに乗っている医者に腹が立つ。
カウンセリングできる医者と登録はしているので余計腹が立った。
たくさん話そうとしても、薬の聞き具合はどうかとか聞いて、話をすりかえてくるので、薬は患者を裁くためにの手段だと思った。
「機能性障害」が強いと言われた。私は飲まなければいけないと言われた。
PMSの疑いもあると言われたけれど、名前ばかりの気休め病名にうんざりした。


薬を飲むとはじめはよさそうに思っても、腰痛、頭痛がして、生理がひどくなるので飲まない。
常備薬の○ファリンさえも飲めなくなってしまった。
現在は楽しいことをして、鬱を治したいと思う。

Posted by いもむし君 at 2005年02月05日▲このページの上へ


病院とさよなら

楽しんだり、うれしいときは病気を治す治癒力があるはずだと思っている。
いつもそうなれるわけではないし、そうなれないときは葛藤したりする。
悲しいときは思いっきり泣けばいい
怒ったときは周りに聞いてもらう。
ホームページにぶつける

はじめは楽しみや喜びさえもわからないかもしれない。
思いっきり怒りや悲しみをぶつける相談役がいないかもしれない。
はじめは仕方ない…自分の変容にみんなびっくりで両親は力ずくで抑えようとした。
いい子になりすぎていた。
でも我慢しないほうがいい。してはけない。
自分にうそをついて生きることは無理だから。

頑張ればできる。やらなければいけない。乗り越えなければいけない。
でも思えば思うほど空回りし、何もできなかった。
今から思えは自分に過信があったのだと思う。

頑張っている人も、どこかで息抜きをしている。どこかで発散している。
でもそのバランスが崩れたり、吐き出し口がなくなってしまったら誰でも狂うのだ。

自分を追い詰めないようにしたい。
そしてできるだけ発散口をたくさん持ちたい。

私は病院に行かなくなって自由になった。
毎月5千円、通院したらかかるだろう費用で遊ぶことにした。
患者は医者の前に行くと、医者に従うしかない。
通っているとき、医者は自分の優秀さに酔っているような気がした。
医者は患者がいるので医者になれているのだ。
患者によって医者は作られているのだ。
患者が無防備で医者の前に体を投げ出す姿をみて、医者は医者になる。
(「パッチアダムズ」を見てそのことを考えされられた。)

医者の前にいる限り、私は病人であることを意識されられた。

医者は決まってこういう「できないことをしているのではないか」
私は言われたひどく傷ついた。
テストに受かることは無理だと言われたように思った。
私は劣っているのだと感じずにはいられなかった。
でも私はたくさんのことを妥協した。
就職もあきらめ、現役で受かることもあきらめ、本当は大学だって普通に受験じで入りたかった。
そんなわずかな望みもかなえられないのかと医者に食いついた。
医者は答えなかった。
そう言いたげに見えた。
自分は医学大を卒業して、医者になってもっと大変なことをこなしている医者がむかついた。
家族にちやほやされて優越感に浸っている医者にむかついた。

でもそのせりふは、「あなたの罪は救われます」という牧師の言葉と同じように感じた。
何も考えていない言葉だ。
短大のとき、某大学に編入したいと言ったら、短大で一番えらい学長に高望みしているのではないかというようなことを言われた。
でも学長は私の成績を見たわけではなかった。
みんなにそういっているのだと思った。
でも私は運良く某大学に合格した。
適当なことを言った学長にむかついていた。

それから心無い言葉でかえって私を苦しめた医者にむかついていた。
私は医者の一言で症状が悪化した。
死にたくなって毎日絶望していた。
帰郷したときに行った気功の先生が、その人と合わないからやめなさい。といった。
私は肩の荷が降りて自由を感じた。
やつが悪かったのだとそう思った。

「できないことをしている」
今になってそれが何かわかってきた。
穏やかにそれをわかった。
でもそれは自分で気づいたのだ。
医者に言われたからではない。
過去に辛い思い出があっても乗り越えて頑張らなければいけないと思っていたことは、私には大きすぎることだった。
悲しいことがあったら、かなしい。それでいいんだ。
辛いことも辛くないと自分をごまかすことがもう限界なんだ。

Posted by いもむし君 at 2005年02月05日▲このページの上へ

 

「病気」だったら病院に行かなければいけない?

病気になったら、病院にいきます。「うつ」になったら病院にいかなければいけないのでしょうか?
薬を飲まなければいけないのでしょうか?
「うつ」かな?と思って病院にいって、「うつ」ですと診断されて、それで安心してよかったという人もいるかもしれません。
私も何か病気であるという診断がほしいと思ったことがありました
ホルモンバランスや腎臓が悪い友達がいて、そういう病気名があったら、みんなも納得してくれて、頑張れなくても大目に見てもらえるような特権のように 感じていました。
けれど特権なんてないかもしれません。その子たちも病気のことを隠して明るく普通にしていたし、だれもその子たちを特別扱いしていないように思いました。
病気をもっていても頑張っている子はいる、みんなそう思っているし、誰しもが悩みを抱えていて病気の1つや2つと、そう簡単に片付けようと している人は多いと思います。
幼少のときは「自律神経失調症」と言われ、去年の夏は、「機能性障害」と診断されました。 念願の病名をもらえたけれど、子供のころは「自律神経失調症」と診断されたけれど、それを「なまくら病」と思っている先生に一笑されて、私の特権はなくなりました。
自分が病気だ。と思うことで、自分が頑張れないことを病気のせいにしたいのです。
たぶん、そうしないといけない精神状態なのでしょう。
自分が病気だと思うことで、自分を怠け者だと責めなくて良いからです。
それから両親の対応も変わるのじゃないかと期待もありました。


しかし私は苦い過去がありました。
自律神経失調症や機能性障害を病気と思えず、診断をもらうことで安心できなくなった辛い過去がありました。
自律神経失調症、機能性障害などを病気と認めてもらえないことを嫌と言うほど感じていたし、自分自身も患者を安心させるための作られた病名にしか思えなくなってしまいました。
初めて「自律神経失調症」と診断されたとき、待合室で母が大声で怒鳴りました。
「自律神経失調症なんか、病気じゃない! なに甘えとんがけ!しゃきっとしられ!しゃきっと!」とすごい剣幕で叱りました。

私はなにかまずいことになったと感じました。悪い病気になったと思いました。
風邪を引いたときいつも母は優しかったけれど、今度は違うと思いました。
しかし母に対する憎悪も膨らみました。
今でもこの母の言葉は許せません。

私が病気になったのは母も悪かったからです。
私がいじめをしていると担任から疑いをかけられたとき、母が私がしていないと言うことを信じてくれたらどんなに救われていただろうか…
そうしなかった母を憎んでいました。


しかし私はこの一喝で目が覚めました。 いやそうしなければいけなかったのです。
自分を守るために…
私は自分を元気になったとだますことで乗り切ろうとしたのです。

自分をだますことは成功しました。

何事もなかったように振る舞い、めまいを感じつつ、気にしないようにしていました。
でも時々猛烈なめまいや吐き気がして、体育で走れなくなったりしました。
担任の執拗な詮索にも耐えていました。
もし、くよくよしていたら、母がまた怒鳴るのがわかっていたので、緊急事態だったので自分を騙していました。

自分を騙すことなどできるはずがない。
自分の心を偽ることなどできるはずがない。
もしそうしていたら、すぐやめたほうがいい。
自分を騙した付けは10年後に帰ってきました。

でも私は自分を騙せることを覚えてしまっていました。
嫌なことがあっても、自分を騙すことで乗り切ろうとしていました。
自分は自分の好きなように変えられるとも錯覚していたのです。
私は自分に過信をしていたのだと思います。


みんな何かしら自分に過信しているのかもしれません。
「うつ」を経験した人はみんな自分を過信しているのかもしれません。
そう、自分の心を騙して…
自分でできる、やらなきゃいけないとどんどんやらなければいけないことが増えているのかもしれません。
自分でできると思うし、回りもそう思うからどんどん辛くなっているのかもしれません。

私も抱えていることが多すぎました。
けれど、誰もすごいといってくれないようなことです。
過去や自分の「うつ」です。



病院に言ったとき、「治らない」と言われました。「一生このことから離れなれない」とも
悲しくて病室で大泣きしました。

それから「あなたは自分でできないことをしようとしている」と言われました。
また悲しくて大泣きしました。
私は院に受験しようとしていることが無理だと言われたと思って泣きました。
「あなたには受かりっこない」そういう言われたように思いました。

自分はすごくだめな人間だと思いました。

でも前は就職して、社会に出て頑張ろうと思っていたことは、自分に無理なことだと思うし、就活も辛くてやめました。
大学も普通に受験で入りたかったけれど、編入で入りました。
院受験も現役ではなくて浪人しているのです。
現役で入りたかったけれど、それもあきらめているのです。
「私は決して高望みなんてしていない。なのにそれさえも許されないのか」と先生に食い下がりました。

私は病院に行って数ヶ月劣等感に苦しみ、薬もあわず死にたくなっていました。
はじめいろいろ話して、誰もいままで聞いてくれないような事を話したので、うれしく思っていましたが、2回目は15分しか話せませんでした。
話すことで気持ちが楽になると思ったので、たくさん話したけれど、先生は薬のことに話を摩り替えてきました。

ほかの薬に変えても改善することはなく、ふらふらして、駅のホームに落ちるようなめまいを感じていました。

Posted by いもむし君 at 2005年01月25日▲このページの上へ