気持ちのゆがみ
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現在が過去の出来事を修復している
昨日、少し彼と言い合いになった。はじめに会ったときのことを話した。私はあ
いさつしなかったらしい。でも自分ではしたつもりだった。「おまたせ」と言お
うと思ったけど、おかしいから言わないでいて、そのままになっていたようだっ
た。でも話しているうちに、「どうして過去のことが、話していると少しずつ、
修復されているのか?」と言われた。修復だったかな?正確に覚えていない。
でも過去のことがあとから追加されていることを彼が奇妙に感じたようだった。
今の自分も半分過去に戻っているかもしれないことを感じた。
今を見る。現実をみる。しなくちゃいけないことがたくさん。
いやでも朝は「したいこと」だったはず…
過去に私を引きずり込むのは肩凝りのせい?どうしてこんなに凝るんだろう?肩
凝りと戦いながら人並みに生きることなんでできるのか?いっそ死にたいと思う。
とりあえず、久しぶりにジョギング行ってきます。
ショックなことを言われたとき
ショックなことを言われたとき、どういう流れでいったのか覚
えていないです。
そのときの流れで、いわゆる「売り言葉に買
い言葉」で相手から言われたことに本気で傷つきます。 本心でないということがどうしてもわからないのです。といっても話
の流れも覚えていないので理解しようがなく、ただただその言
葉の反芻が続きます。
おそらくこのような状態なので、被害妄想じゃないかと言われたりします。
母からは執念深いと言われたりします。
一部の小さいことが誇張されているのだと思います。会話の流
れはすぐ忘れて、ショックなことを言われるとそれがすべて印
象を支配してしまう、そういう症状だと思うしかないのでしょ
うね…
病気のせいだと思いますが、記憶力もすこぶる悪いです
…
時間をかけて覚えるしかないとあきらめています
すべて症状のせいにしています。
我が人生は欝との戦いなり
後ろ向き
今まで後ろばかりみて生きていた。前向きにしていたつもりなのに、結果的に後
ろばかりみていた。就活で体調を崩してから、頑張ることができなくなってしま
ったから、後ろを振り替えるしかなかった。
でも彼のために頑張るしかない。前は自分のために頑張ろうと思ったけど、「自
分」という言葉が内向的になりやすいような気がする。それと「自分」と思うと
、「もう駄目だ!」と自暴自棄になってしまうような気がする。
だから彼のために頑張るんだ。自分のことも彼のために頑張る。自分のことがで
きたら、彼の負担を軽くして彼のためになるのだから
「頑張る=我慢」 になっていた…
がんばろうと思うと余計できない。
何か過去の痛みが引き出されるようだ。
過去にいろいろなことを我慢しすぎた。実際いろいろなことがあった。
偶然が重なって、私は我慢するしか道がなくなっていた。
それでもがんばろうと思っていた。そうしないといけないと思っていたし、そうできるとも思っていた
。
過去でも私は実際何もがんばっていなかった。何も形に残っていないからだ。
私はがんばっていたのではなくて我慢していたのだった。
いつの間にか、「がんばる」ことは「我慢すること」と私の中で変わっていた。
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